PePe3’s diary

私の日記 人生のヒント

幼少期5

小学校では相変わらず目立たず大人しくしていることが多かった。

幼稚園からの友達とは別のクラスになった。

近所に住んでいる友達が何人かできた。

放課後、幼稚園からの友達と、近所の友達とで、私の取り合いになった。

私の腕を両端から引っ張り合いになり、私はどうすることもできず、ただ泣いて痛みに耐えていた。

どっちと友達になるか聞かれ、私は近所の友達を選んだ。

こうして、幼稚園からの友達とは絡まなくなった。

 

新しい友達のリズはとても面白くユニークな子で、その子といると毎日が楽しく、私もその面白さにつられていった。

何でも受け入れてくれて、笑いのツボも同じ。

私はその子の事が好き過ぎて、つい、いじわるな事をして反応を確かめてしまった。

 

リズのプックリとした手が可愛くて、面白半分でペロッと舐めたのだ。

やめて!と言われたが、顔は笑っているし、そこまで嫌がっているように感じられず、手をガッチリ掴んで再び舐めた。

私は度胸試しのつもりでもあり、未知の体験に興奮していた。

次の日も舐めたら、本当にやめて。と真剣に言われたので、舐めることは辞めた。

本当に嫌だったんだと分からなかったのだ。

そこから、リズとは溝ができたように思える。

幼少期4

母はお喋りだ。

私に対して投げかけられた質問も、我先にと代弁してくれる。答えが自分の思っていることと違っても否定はしなかった。母の言いなりだったし、母がそう思うのならそうなのだろうと思っていた。

喋る隙を与えてくれないので、だんだんと無口になっていった。

 

小学生になった。

朝5:30起床だったので、夜21:00前には布団に入っていたのだが、

足が妙にムズムズして落ち着かず、時計の秒針の音や両親のいびきが気になり、いつまでも寝られなかった。

家族皆んながすんなり眠れることが羨ましかった。

今考えるとなかなかストレスだったんだろうと思う。

 

朝起きても食欲はわかず、便秘も酷く、日中は瞼の痙攣も酷かった。

 

それでも親には何も言わず、疑問にも思わず、それが当たり前の日常だった。

幼少期3

私は大人達に『いい子だね。』とよく言われた。

 

親の言う事はちゃんときき、最低限の作法も身に付け、どこにも行かず親の側に居て、喋らずにずっと静かにしている。

 

『いい子』の解釈は人それぞれあるとは思うけれど、私にとっての『いい子』は親にとって都合が良い子なのだ。

 

母は勝ち気が強く、見栄っ張りだ。

自分の子がいい子でいる事が誇らしいのだろう。

それ故、母は私を見せびらかす。それは今でもしている事だ。

 

ただ、私は母から褒められる事はされなかった。むしろ貶された。容姿もいじられた。

そのせいか私は自分の見た目に自信がなく、コンプレックスの塊だ。

 

幼い頃、沢山の方々から『いい子だね。』と言われたが、それは母からの躾によって身についた、当たり前の事。

誰かが褒めてくれても、素直に喜ぶことは出来なかった。喜ぶのは母だ。

 

こうして自己肯定感はどんどん低くなっていった。

 

私の兄は言う事きかない、手のかかる子だったらしい。

その兄に付きっきりの母と、大好きな母を取られたくない兄。

私は母からはほっとかれ、兄からは毎日いじめられ、泣いてばかりいた。

 

今思い出しても、本当によく涙を流す人生だなと思う。

今でもすぐ泣いてしまう、というか、涙がとめられない。

 

それも私のコンプレックスの一つである。

 

小さい頃から親の敷いたレールの上を走らされ、我慢ばかりして、自分を押し殺して生きてきた。

 

こんな子が成長するとどうなるだろう?

いくら我慢強いとはいえ、限界はくる。

 

親の用意してくれた人生のレールは、親の考え通りに真っ直ぐだが、私の心は歪み始めていた。

幼少期2

幼稚園へはバスで通った。

バスが通るルートにはパン工場があり、前を通る度パンの焼ける匂いが漂ってきた。

私はその度に吐き気をもよおした。

元々車酔いが激しく、バスは苦手だったが、少しの辛抱だと、毎日我慢していた。

 

私は、親のいう事はちゃんときき、わがままや不満は言わず、大人しく、我慢強い子だった気がする。

お行儀良く、言うことはちゃんと聞き、親の言いなりだった。操り人形だった。

 

母の存在は怖かった。

暴力や脅しでいう事をきかせる母だった。

暴力といっても、頭を拳で殴られる程度だが、それでもすごく痛くて、自分としては何故そんな殴られなくてはいけないのか分からなかった。

 

私には兄がいるのだが、

母は、ゲームで遊んでばかりいる兄にキレて、アダプターでゲーム機やソフトを叩き割って壊したことがある。

怒りにまかせてガンッガンッと大きな音を出しながら次々にゲームを破壊していく母。

私はその光景を目の当たりにし、狂気と恐怖を感じた。

 

そんな母に育てられ、色々と我慢強くなった。

 

いつしか、自分が我慢すればいいやという、自己犠牲も芽生えていた。

過去をふり返る 〜幼少期1〜

私が覚えている一番古い記憶は、初めて幼稚園へ行った日だと思う。

訳がわからないまま母に連れられ、そのまま置いてきぼりにあったような、そんな気持ちだった。

 

元々私は無口で意思表示が苦手だ。遊ぶ時は一人遊びが好きだった。

園庭では、みな元気いっぱいに友達と遊ぶ中、私は友達の作り方も、喋り方も、接し方も、よく分からず、環境に馴染めず、隅っこの方で砂遊びや、蟻の巣に砂を入れたり、花の蜜を吸ったりして、一人の世界を楽しんでいた。

 

ある時、ちょっと気の強い友達ができた。

私が動揺したり、困ったりするような事を平気で言ってくる意地悪な友達だ。

私はその言葉を信じ、平然を装ってはいたが、内心不安でしょうがなかった。

 

ある日『顔にあるホクロを取ってこないと、明日○ぬよ。』と言われ、私はそれを本気で信じ、親にも言えず、どうしよう、どうしようと不安で、ホクロを取ろうともしたが、痛くて無理だと断念。

次の日、友達はホクロの事には触れず、普通に過ごしていた。私はあれ?と思ったが、○なずに済んだと安心した。

 

意地悪な子ではあったが、私は側に居てくれるだけで、なんだか嬉しかった。

友達が出来た事が嬉しかった。

 

磯部温泉

2022.11.24㈭ 曇のち晴れ

 

胃腸の調子があまり良くない。

便秘と下痢。そして冷え性、低体温。

あまり健康的とはいえない状態。

何とか改善したく、

胃腸に良いとされる炭酸泉の温泉をネットで探した所、磯部温泉がでてきた。

群馬県人ではあるが、磯部温泉はまだ一度も行ったことがなかった。

 

日帰り温泉施設を探し、『恵みの湯』に行くことに。

 

館内は、内風呂と露天風呂、ドライサウナ・スチームサウナ(ローテーションで男湯・女湯入替え)があり、介護を必要とする方の為の福祉浴室や、砂塩風呂という珍しいお風呂もある。

 

お湯はトロッとしていて、肌がスベスベになる。

長く浸かっていられる程の気持ちよさだが、体内に熱がこもりやすく、のぼせやすいので注意が必要。

 

いつまでも身体が暖かく、スッキリして気持ちの良い温泉だった。

 

♨恵みの湯♨

〒379-0127 群馬県安中市磯部3-3-41

☏027-385-1126

【営業時間】10:00〜21:00(入館は20時まで)

【入館料】

区分    大人     子ども   障がい者

3時間  520円    310円   310円

6時間 1,030円  520円   520円

1日     1,540円  930円   930円

【休館日】第1、3火曜(祝日の場合は翌日)

                    年末年始

 

【効能】 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、

慢性消化器病・痔疾、冷え性、病後回復期、健康増進、きりきず、やけど、慢性皮膚病、慢性婦人病

 

【泉質】 ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩強塩温泉(中性高張性高温泉)

【湯の色】 淡褐色で微白濁

【源泉温度】 52.6度

尻焼温泉

2022.11.23㈬ 雨

昨日は尻焼温泉を満喫してきた。

尻焼温泉とは、群馬の草津の手前にある、無料の温泉。駐車場も有り。

川の底から温泉が湧き出ており、川が温泉になっている。まさに大自然のお風呂である。

広々としているので、泳ぐことも可能。

自然の中での温泉は最高に気持ちよかった。

川沿いに建てられた小屋には、源泉を引き込んでいるのだろうか、50℃位あるのではないかと思うほどの灼熱温泉もある。

数秒しか入っていられない程の熱さなので、誰も入っていなかった。


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さて、また間が空いてしまった日記。

毎日日記を書くことすら難しい。

今日は久しぶりの雨。

前までは『雨かぁ↓』っとテンション下がっていたけれど、最近は、雨のお陰で植物は育つし、雨が無いと生活が成り立たないので、降って良かったと思えるようになった。

晴れている方が気持ちは良いけれど、雨は雨の良さがある。