PePe3’s diary

私の日記 人生のヒント

幼少期2

幼稚園へはバスで通った。

バスが通るルートにはパン工場があり、前を通る度パンの焼ける匂いが漂ってきた。

私はその度に吐き気をもよおした。

元々車酔いが激しく、バスは苦手だったが、少しの辛抱だと、毎日我慢していた。

 

私は、親のいう事はちゃんときき、わがままや不満は言わず、大人しく、我慢強い子だった気がする。

お行儀良く、言うことはちゃんと聞き、親の言いなりだった。操り人形だった。

 

母の存在は怖かった。

暴力や脅しでいう事をきかせる母だった。

暴力といっても、頭を拳で殴られる程度だが、それでもすごく痛くて、自分としては何故そんな殴られなくてはいけないのか分からなかった。

 

私には兄がいるのだが、

母は、ゲームで遊んでばかりいる兄にキレて、アダプターでゲーム機やソフトを叩き割って壊したことがある。

怒りにまかせてガンッガンッと大きな音を出しながら次々にゲームを破壊していく母。

私はその光景を目の当たりにし、狂気と恐怖を感じた。

 

そんな母に育てられ、色々と我慢強くなった。

 

いつしか、自分が我慢すればいいやという、自己犠牲も芽生えていた。